先日、湊かなえさん原作の「白ゆき姫殺人事件」のDVDを見ました。
湊かなえさんの原作では、「告白」、「夜行観覧車」、「高校入試」など有名なものが多数ありますが、どれも、主人公をはじめ、どの登場人物でもその心理描写やその人物の背景などを緻密に設定しており、得体も知れない続々とした感覚を体験できることが、特徴です。
”イヤミス”(読んだ後に嫌な気分になるミステリー)というジャンルを広めた作者の一人とも言われています。

その中で、映画「白ゆき姫殺人事件」は、ネット炎上をテーマに挑んだ、ゴシップエンターテインメント映画として、原作を映像化したものです。
原作では、架空のSNSだったものを、リアリティーを出すために、Twitterの書き込みと、よくあるワイドショーによるマスコミのミスリードなど、ネットとマスメディアによって、憶測が広がる怖さを描いています。
Twitterによる書き込み表現は、Twitterジャパンの協力のもと、実現したそうです。この方が、一般視聴者にも連想しやすく、イメージしやすくなっています。

原作は、本であるため、文字の表現を最大限に使ったものであることは、当然なのですが、それを映像化する難しさを感じる映画でした。
Twitterそのものは、短い文章が次々に時系列関係なく流れていき、その不十分な情報を読み手が、勝手に仮説思考をして、イメージしていくものですが、それに伴う創造力は、やはり、文字で読んだ場合に最高の効果を発するものです。

それを映像化する場合、画面に、文字を映し出していきますが、読み手が、文字の表示を止めることができないため、一方的に流れる文字を追わなければならず、見返すこともできません。文字を追うことが忙しくなったとき、読むことをやめてしまいます。それでは、創造力を作る時間を醸成できません。不確かな情報によってもたらされる、疑惑や仮説は、考える時間があってこそ、勝手に膨らんでいきます。ワインやウイスキーのように、醸成する時間が必要なのです。

そのデメリットは、画面に表現された文字を、読み上げる、「ナレーション」によって表現されます。
文字を追わなくても、耳から情報が入ってくるように、配慮されていました。しかし、考える時間は、はやり短いので、疑惑や仮説を膨らませるまで至りません。このあたりが、Twitterの表現を映像化する難しさを含んでいると思いました。

その表現のむずかしさが、ハンデになったかは、分かりませんが、個人的な感想としては、「告白」、「夜行観覧車」、「高校入試」などより、インパクトが弱かったように思います。もちろん、「高校入試」は、初めから映像化するために、湊かなえさんが、脚本されているので、効果的な演出があり、単純な比較はできませんが、いわゆる”イヤミス”の印象度からすれば、原作ほど、強く出ていなかったように思います。

もちろん、個人的な意見であり、映画を非難するものではありません、楽しい2時間でした。

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投稿者プロフィール

画風
画風~伝える、わかる、ひろがるをあなたへ。~
大学を卒業して、映像プロダクションに勤めました。
数社を渡り、福岡市インキュベート施設で独立。

2000年:映像音響処理技術士
2013年:マルチメディア検定エキスパート
2014年:Webデザイナー検定エキスパート